ウイスキーを飲みたい気分
何となくインターネットでニュースを眺めていたら竹鶴政孝の名前が目に留まった。
竹鶴政孝、飲兵衛なら自分が薀蓄を語るためや薀蓄好きに付き合わされて何度も耳にした名前だと思う、とにかく日本のウイスキーを語る上で避けては通れない日本のウイスキーの父の名前があったのだ。
竹鶴政孝の伝記については色々な本で読むことが出来るので今更な感じではあるがついつい引き込まれるようにして朝日新聞の旅行記事を読んでしまった。
短い記事なので紹介されているエピソードは他のところでも紹介されているものが多いが最後の部分で思いがけないことが紹介されていた。
----引用-----
1月17日朝7時、工藤光家さん(81)は突然、政孝に呼ばれた。ニッカの若手社員だった工藤さんは竹鶴家を手伝うことが多く、リタを母のように慕っていた。
「リタが、こうなってしまったよ」。政孝にみとられて、リタは静かに息を引き取っていた。
号泣する工藤さんの横で、しばらく泣いた政孝は「工藤、もう泣くな。すまないが、あとを頼む」と自室にこもった。葬儀の相談にも出てこない。「社長は泣いていらっしゃいました」。竹鶴家の手伝いをしていた礒田幸子さん(65)は、そう振り返る。
葬儀が終わり玄関を出ようとしたひつぎを、政孝は何度も何度もなでた。
政孝と威さんは翌年、悲しみを振り払うようにして「スーパーニッカ」を完成させた。これが当たり、ニッカの経営は軌道に乗った。
余市産の上質の原酒だけをブレンドした、まるで政孝とリタの40年間の集大成のようなウイスキーだった。
----引用-----
以前、未だインターネットが普及する前、パソコン通信のNIFTY-Serveのオフでニッカの宮城峡を見学したことがある。
日曜日にもかかわらずシスオペが口利きをしてくれていたため一般の見学者とは別に案内をしていただいた。
そのためにわざわざ休日出勤していただいたのが当時サービス会社の社長をされていた工藤さんでした。
宮城峡の地を選んだ時のエピソードなどを紹介していただいたお話がとてもリアルというか当時の熱い思いをそのまま話されていたのを15年ぐらい経った今も覚えています。
今回この記事を読んで久しぶりにウイスキーが呑みたくなった。
ニッカの皆さん、美味しいウイスキーと美しい物語をありがとう
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/89446/12382401
この記事へのトラックバック一覧です: ウイスキーを飲みたい気分:

コメント